清閑亭 ~邸園交流でまちづくり~

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NHKドラマ『坂の上の雲』と小田原邸園文化

小田原の「邸園文化」をテーマとした基調講演とパネルディカッションです。c0110117_12124438.gif

NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』はみなさんご存知かと思います。

主人公・秋山真之の活躍が、これからますます楽しみですね。

少し気が早いですが、その秋山は最後、どこで亡くなったのでしょうか。
実は、小田原の邸園の1つなのです。

なぜ、秋山は小田原にやってきたのでしょうか。

そこで、今回は、NHKドラマ『坂の上の雲』プロデューサー・藤沢浩一さんを講師にお招きし、お話を伺いたいと思います。

秋山をひきつけた小田原の邸園にはどんな魅力があったのでしょうか。
みなさん、ぜひ足を運んでくださいね!

  日時 平成22年6月18日(金)14~16時

  場所 小田原市生涯学習センターけやき ホール

  費用 無料(事前申込は不要です)
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by machien5 | 2010-04-22 14:00 | イベントのお知らせ | Trackback

邸園交流にようこそ!

邸園というコトバは耳なれないですよね。

c0110117_2338246.jpg邸宅の建築と庭園の両方をあわせて「邸園」。
「お屋敷」というと、とたんに縁遠く感じられますが、意外とまちのあちこちに「邸園」は残されています。

この「邸園」をもっと身近に感じられるように、そこで営まれていた生活の知恵や豊かさをみんなで分かち合おうというのが、「邸園交流」です。
というのも、「邸園」での暮らしには、そのまちの良いところがうまくとりいれられているからです。

c0110117_23431749.jpgまちの自慢の眺め、自慢の味、自慢の遊び・・・・・・。そういうものを満喫できるのが、まさに「邸園」です。

小田原のまちには、こうした「邸園」が今も数多く残されています。
明治から大正にかけて、小田原は東京からみてもっとも魅力的な保養地として注目されました。
御用邸をはじめ、宮家や政治家、実業家だけでなく文人たちもたくさん集い「邸園」群をかたちづくっていました。

小田原邸園群(未完成版)



c0110117_23394433.jpg現在も、所有者の方や行政の理解と努力で、まだまだ宝物のような「邸園」がそこかしこに残されています。

そうして伝えられてきた「邸園」を、住民や企業、観光客といったさまざまの立場の市民が楽しみながら支えてこう!というのが「邸園交流でまちづくり」というプロジェクト。

みなさんも「邸園」にかんする情報を寄せてください。そして、実際にぶらりと立ち寄ってみてください!
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by machien5 | 2010-04-17 23:32 | 邸園交流とは | Trackback

秋山真之終焉の地・山下亀三郎別邸

今、NHKで放映されている『坂の上の雲』の主人公・秋山真之。
秋山が小田原で亡くなったということは意外と知られていないのでは?

ブログを検索しますと、何人かのファンの方が訪ねてやってきてくださっているようです。
ありがとうございます!

ですが、なかなか当時の名残がはっきりしないようなので、もう一度自分の記憶を確かめるべく、ちょっと歩いてきました。

秋山が亡くなったのは旧友・山下亀三郎の別邸・対潮閣。

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図は山下別邸の周辺含め、この界隈の邸園マップです。

山下は現在、商船三井に統合されている旧・山下汽船の創業者です。旧海軍関係の兵員や輸送で財をなし、戦後の財閥解体では財閥家族の指定されるほどの資産家でした。

秋山と山下が知り合うきっかけは二説ありますが、秋山は松山、山下は宇和島と郷里も近く、かなり親しかったようです。

秋山は大正6年に盲腸を患いますが、それ以来、何度となく山下の別邸で療養していました。
小田原で休養している頃、親族に宛てた手紙には次のようにあります。

「日々の散歩にすこし歩き疲れ本日は小田原の別野に休息し読書三昧に日を暮らし候(略)
新聞も見ずに世外に遠かりて呑気に静養せば是程気楽で面白き事は無之どうか何時までも此の様にと思ひ居り候
大正6年7月26日」

小田原がよほどゆったりできる場所だったんでしょうね。

翌大正7年冬、秋山は小田原に山縣有朋を訪ね何事か相談していたところ、病状が急変して2月4日に対潮閣で亡くなりました。

「アゝ小田原の松籟濤音、永へに無韻の詩となれ、歌となれ」『秋山真之将軍』
「(秋山)将軍は二階の障子を全部開放たしめた。太陽の昇る前の相模灘の黎明が将軍には又とない爽やかなものに感ぜられたのであう(略)
遂に溘焉として逝去した。相模灘には太陽が漸く昇らんとして水平線上稍紅を呈してゐた。」『秋山真之』

絵になる情景ですね。

山下別邸はその後、分譲されてしまいました。しかし、今も当時の区画とちょうど重なるように、趣のある石垣が続いています。
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名残はまったくないわけではないので、みなさんこの路地を歩いて、当時をしのんでくださいね。

また、石垣の途中には、巨大な石碑があります。
これも山下別邸時代の以下の石碑のことでしょうか。
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「中段程に釣鐘の如き形したる捨石ありて、其傍に田中青山伯(注・小田原に別邸のあった伯爵田中光顕)の此石を詠じたる和歌一首を彫付けたる石碑ある」『東都茶会記』

やっぱりそうでした。
「小田原の金石文(一)」『小田原市立郷土文化館研究誌3』によると、
「釣鐘石」というものです。
もともと箱根路七名石の一として御塔坂にあったものを明治40年、山下別邸の最初の所有者(松下軍治)がここに持ってきたといいます。

ちなみに碑文は
「うちたたく 人ありてこ曽 よの中に な里もわたらめ つりが年の石 光顕」
とあるとのこと。


この『東都茶会記』をはじめ資料に残る山下別邸の様子などはまた御紹介したいものです。

今、色々と調べはじめたところなので、みなさんにもぜひ情報提供お願いします!

また、秋山も愛した「相模灘の黎明」は、山下別邸の上段にある登録有形文化財・清閑亭から、今もはっきりと臨めることでしょう。

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清閑亭で「相模灘の黎明」を望む。2月4日の命日などに秋山を偲んで、みなさんで集まるのも一案かもしれません。

平井太郎 記
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by machien5 | 2010-04-11 22:48 | 小田原邸園エピソード | Trackback

小田原邸園名鑑

c0110117_0313038.jpg小田原には明治大正昭和とたくさんの作家・政治家・実業家が居を構えていました!


小田原邸園分布図(未完成版)


なかでも小田原駅から歩いていかれる旧市街には、次のような方たちが集まっていました。

右の年表で赤帯の部分が小田原に居住・滞在していた時期です。

森有礼【政治家】
伊藤博文【政治家】c0110117_1374849.jpg
永井荷風【作家】
野村靖【政治家】
斎藤緑雨【作家】
村井弦斎【作家】
御用邸
益田孝【実業家】
黒田長成【旧藩主】
黒田長礼【旧藩主】
山縣有朋【政治家】
鍋島幹【政治家】
大島義昌【陸軍大将】
安廣伴一郎【官僚】
大田黒重五郎【実業家】
大田黒元雄【評論家】
瓜生外吉【海軍大将】
野崎廣太【実業家】
山下亀三郎【実業家】横河民輔【建築家・実業家】
閑院宮載仁
閑院純仁
北原白秋【詩人】
谷崎潤一郎【作家】
大倉喜八郎【実業家】
室田義文【政治家・実業家】
田中光顕【政治家】
望月軍四郎【実業家】
三好達治【詩人】
坂口安吾【作家】
松永安左ヱ門【実業家】
長谷川如是閑【評論家】


c0110117_0283965.jpgこの求心力になっていたのは、小田原のまちの魅力と、先に集まっていた人の魅力でしょうか。

健康や保養というものが意識され始め、保養所や御用邸ができ、長州や三井の有力者、作家たちがそれぞれに集まり・・・・・・。

左の写真はそうした人のつながりの中心の一人、三井の大番頭・近代三茶人の鈍翁益田孝です。

こうした「邸園」を核にした人の集いとつながりを現代によみがえらせたいものです。

平井太郎 記
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by machien5 | 2010-04-10 23:50 | 小田原邸園名鑑